【朝鮮史・百済】日本とも関係の深かった「百済」の滅亡について詳しく説明!

朝鮮

この記事では、古代朝鮮に存在した百済の滅亡の歴史のストーリーを紹介しています。この百済という国は当時日本ともとても関係性の深かった国で、わざわざ日本は唐という一大帝国を敵に回してまで守ろうとした国です。日本に仏教が渡ったのもこの百済からでした。そんな百済の滅亡した際の伝説をまとめます。ぜひご一読ください。

ふしぎなこと

 百済の義慈王ぎじおうの時代、干ばつで地面の色が真っ赤になり、その数年後になるとおかしなことが数多く起こるようになりました。例えば、宮中にたくさんの狐が入ってきていたずらをして帰っていったり、長さが三尺もある魚が死んで浮き上がっていたり、化け物のように背の高い女の遺体が流れてきたり、庭にあったエンジュの木がわんわん人のように泣いていたり、宮中に鬼が出たりと本当にふしぎなことが度々起こったのです。これだけでは終わりません。この後も不吉なことが起こります。井戸の水が真っ赤に染まり、海岸には雑魚が数え切れないほど打ち上げられました。その後大嵐がやってきて、それが去ったと思えば、又大雨がふり、大洪水が起こりました。

ある日のこと大きな犬がやってきて、錦川野あたりで、とても悲しそうに吠えていたかと思うと、すぐに走っていってしまいました。しかしそれを聞いた百済中の犬たちは集合してまた悲しそうに吠えました。

百済の滅亡

すると宮中には再び鬼が現れ、「百済は滅びる」と言って踊り狂っていました。

その鬼が逃げたので、後をつけてみると、土の中に潜ってしまったので、そこをほってみると、土の中から大きな亀が出てきました。その亀の甲羅には「百済は月輪のごとく、新羅は月新のごとし」と書いてありました。

王様はその意味がよく理解できず、巫女に占わせました。すると、「百済が月輪の如しとあるのは、満月の意味で、一度満ちれば欠けていくことから国の衰退を意味している。また新羅は月新の如しは、新月が満月になるように、今後栄えていく」という意味だったのです。

その占いから1年も立たずに百済は滅亡しました。

まとめ

 今回はとても短かったですが、百済の滅亡についてお話しました。百済の滅亡には日本が大きく関わっています。教科書における壇ノ浦の戦いを始めとするように、百済が存続するよう大きく支援をしました。結果として負けてしまいましたが、その後難民として日本に逃れた百済人が日本の発展に大きく寄与しました。この大化の改新と百済との関係なども含めて今後記事を書きたいと思いますのでお楽しみに。それでは

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