【日本・古代史】邪馬台国はいったいどこなのか?邪馬台国は徳島説について考える。

日本

皆さんは邪馬台国についてご存じでしょうか?学校の歴史では、卑弥呼が治めていた国として習うと思います。邪馬台国は一般論では九州説や畿内説があります。が、今は徳島説というものも出てきています。

邪馬台国の資料

現在、邪馬台国の直接的に知ることのできる書物は、魏志倭人伝というものです。魏志倭人伝とは中国の魏の国の方が昔に書いた日本(倭)に関する書物です。

しかしこの魏志倭人伝の内容は大変限られています。そこで徳島説を論じるときに使うのが日本最古の歴史書『古事記』です。古事記は現在では歴史書というよりも、神話としてとらえられていると思います。しかしこれは歴史書であるということを徳島説では前提にして話を進めていきます。

四国 阿波国の特異性

 イザナミとイザナギの国生み神話では、四国は淡路島の次の二番目に生まれます(ヒルコを含めない)。そんな四国には4つの顔があり、その中でも阿波はオオゲツヒメという別名も持っています。

順番的には淡路島が始まりですが阿波への路という名前がついています。いわば、阿波が当時の日本の中心であったということができるのではないでしょうか。

この阿波国なにかあると皆さんは思いませんか?笑

そんな阿波国、徳島県について今日は深掘りしていきます。

卑弥呼=天照大神?

 こんな説が徳島県では語られているのです。邪馬台国があったのは徳島県。邪馬台国の王は卑弥呼、そしてそれが後世に天照大神として伝わった。というもの。さてこの説が正しいとすれば、古事記の舞台は日本全国ではなく、徳島県と淡路島のあたりということになります。

卑弥呼と天照大神が同一人物なのか。卑弥呼は当て字であるという説があります。もとはなにかといえば、日御子(ひみこ)で、太陽の子供という解釈ができるわけです。天照大御神は太陽そのものとされていますから、同一人物というよりも、もしかすると天照の子供が卑弥呼であるという考え方もできるのではないかと思います。

この見解はさておき、天照大御神と卑弥呼が同一であるとして今回は話を進めていきます。天照大神の住んでいた高天原も徳島県の何処かにあるということになります。

高天原とはどこにあるのか

では、高天原は一体どこにあるのか。これは誰にもわかりませんが、天照大神の孫であるニニギノミコトは葦原の国に降臨して、その後の皇統が続いていくことになります。これが天孫降臨神話というものですが、降臨するということは、どこか高いところから降りてくるというイメージですよね。

このイメージのまま考えると自ずと答えが出ます。

そう 山です。高天原はおそらく山の上であると言えるのではないでしょうか。

ただ、こういう人もいるでしょう。高天原では米が育つ。山の上で米が育てられるわけがないと。実は可能なんです。徳島県では。正確には稲作ではないですが、山の上で農業をしているのです。これが世界農業遺産に認定されています。このことから、徳島県の山に高天原があったのではないかと考えられます。

そして、このシナリオに従えば、天照大神の孫ニニギノミコトは高天原と言う名の山の上から地上に降りていきました。その下の世界こそ葦原の国であり、当時出雲族が力を振るっていた場所になるというわけです。

邪馬台国の呼称について

天照大神率いる氏族は大和朝廷と呼ばれます。現在の天皇陛下も大和朝廷の末裔ということになります。そして日本はかつて大和国とか倭国という風に呼ばれていました。

やまとこく 邪馬台国 やまたいこく なんとなく似ていますよね。これは同一の国なのではないかと推察されます。

なぜ徳島に邪馬台国があったと言えるのか。

答えは、古事記を説明するためのすべての神社、すべての地名、が揃っているのです。これは後世に作られたのかもしれあいという指摘があるかもしれません。ですが、古事記はつい最近まで見つかっておらず、日本の歴史書は日本書紀のみとされていましたから、その指摘は間違いです。

私は、徳島に説を否定するわけではないですが、肯定もしていません。もしかするとそこに別の文明や氏族が存在して、神話として民族の遺構が残ったのではないかなどいろいろ考えられる点はあるかと思います。

ただ私が徳島滞在中に鳥肌が立ったことが二度ありました。一度目は古代の祭祀場を見たときでした。

そして二度目は、多祁御奈刀弥神社に行ったときです。あのタケミナカタが祀られる神社ですが、彼が大和朝廷の武甕槌命に追われて降参した場所と伝わる長野県の諏訪神社がありますが、神社にはここが元社であると書いてありました。そんなわけがない。諏訪に逃げたから諏訪大社があるんじゃないか、私はそう思っていましたが、車に乗り込んでカーナビを見ると、その土地は諏訪という地名だったのです。これは相当昔からそう呼ばれているそう。

鳥肌が立った話でした。ぜひこの記事もお読みください。

まとめ

こういったことから、あながち、意外と、もしかすると、徳島説は信憑性の高い説なのではないかと思います。また魏志倭人伝の時代の古代中国は天文学がたいへん進んでおり、この書に記されるように人工衛星の地図で計算すると邪馬台国とされる場所が四国になるようです。こんな科学的な研究と考古学的研究、文献研究が進み謎が解き明かされていくと面白いですね。

もしかするとそうかもしれない。まさに都市伝説のような話でした。

信じるか信じないかはあなた次第です!笑

以上

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