[アジア・歴史] 大東亜共栄圏とは何か詳しく解説!現代に及ぼす影響とは如何に。

アジア

皆さんこんにちは。伊勢大輔です。今回は日本の悪しき歴史。大東亜共栄圏について解説していきます。これに付随して、現代のパンアジアニズムや地域主義に関しても解説します。よければ前回の記事、マレーシアはなぜ親日なのか。もご覧ください。

大東亜とは何か

大東亜とは東アジアと東南アジアを含む、いわゆる極東地域と呼ばれる場所を指します。この大東亜という言葉は以前は盛んに使われていた言葉だったのです。例えば、現代のわれわれが知る太平洋戦争は日本では元々は大東亜戦争という名前の戦争でしたが、戦後GHQがこの用語を禁止し、太平洋戦争という呼称になりました。そういったことでこの大東亜という言葉はある種タブーの一つになっています。

大東亜戦争

 大東亜戦争は「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立して、アジアの自立を目指す。」という名目のもと行われた戦争でした。これは正しいかどうかは別として戦争というものを行う際、聖戦論というものをクリアしなければいけません。これには戦争の正当性を示すということが最重要事項なのですが、この戦争ではこれが正当性として使われました。ただ実際この戦争によって多くの国々が欧米植民地から解放されます。日本では日本が悪くて日本がぼこぼこにされたという印象が一番強いかと思いますが、実際のところどちらがいいとも悪いとも言えない戦争です。この点は今後議論を進めます。

当時の「大東亜」諸国

 太平洋戦争の起こった当初は我が大東亜諸国の大半が欧米の植民地になっていました。当時独立していた国は日本(朝鮮、台湾)とタイ王国のみでした。

日本は江戸時代の鎖国を経て、開国を迫られ開国をするわけですが、そのあたりに起こったのが戊辰戦争。幕府の対外政策に対して、新政府軍が対抗するという戦争ですが、これは実は英仏の代理戦争でした。幕府側をフランスが支持し、新政府軍をイギリスが支援していました。これは伝統的な植民地拡大政策の一環で、あわよくば英国は日本を植民地にするところでしたが、日本陸軍の父大村益次郎などのナイスワークでこれを免れました。その後明治維新が起こり、国力を高め、教育勅語や教育の普及で国民の民度も上がり、大国との戦争に勝利し国際社会で権力を付けていきました。

そんな中日本は国際連盟(LN)で常任理事国になったりなど国際社会で力をつけていく中で、有色人種国家として欧米諸国と対抗できる唯一の国家として、人種差別の撤廃などを訴え続けますが欧米諸国がゆるはずもなく、この主張は受け入れられませんでした。日本にとっては欧米への不信感を募らせる要因になったかもしれません。

アジア主義について

少し時代は戻ります、明治時代ごろ日本や中国ではアジア主義というイデオロギーが育っていました。もともとは興亜論という論が活発に議論されました。日本側は犬養毅や頭山満など、また中国側では中華民国の孫文などがその第一人者です。その当時の考えでは日本中国朝鮮が対等な関係で協力し、経済圏を作り、欧米に負けないアジアを作り、アジア人のためのアジアを作るというものでした。

その後出てきた主義が、アジアモンロー主義というものでした。これは日本、中華民国、満州国が協力し、中国共産党やソビエトをはじめとする共産勢力を排除しようと協力する動きです。

これら二つがミックスし、またそれに多くが付け加えられたものが、大東亜共栄圏構想でした。

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大東亜共栄圏とは

  一言で、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序の確立」です。先ほどのアジア主義、アジアモンロー主義、東亜新秩序、汎アジアと生存権という考え方などが混ざってできた構想のことです。

生存権という考え方は、ヒトラーの考え方で自分の国の領土を守るために周りに勢力圏を広げるということです。これはソビエトや中国共産党などの共産党勢力から日本を守る地域のことです。当時では朝鮮半島や満州国などがそれにあたります。

 汎アジア主義は汎ヨーロッパ主義などもあるように、その地域を統合しようとする動きのことです。汎ヨーロッパ主義が体現化されているのが現在のヨーロッパ連合(EU)です。汎アジア主義は全体ではないものの東南アジア諸国連合(ASEAN)やASEAN+3として実現されています。

 大東亜共栄圏は一言でいうなれば、アジアで協力して、欧米を打ち負かそう、アジア人はアジア人のためのアジアを作ろう!!というイメージで、当時アジアでは一番の権威者であった日本は日本について来いと、アジア諸国に呼びかけたのです。これが大東亜共栄圏の始まりです。

ASEAN - Wikipedia
ASEAN 旗

八紘一宇

 この八紘一宇というスローガンは当時、大東亜共栄圏の正当化に利用された四字熟語です。この言葉は日本の初代天皇神武天皇が天皇に即位し、日本の建国宣言をするときに言った言葉の中に、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ。という言葉があります。これは天下を一つの家となすの意味で、本来、日本に住んでいる皆は家族のような存在で常に話し合いながら、仲良く政治をしていきましょうといった意味が込められています。この天下を世界と解釈し世界に日本の勢力を広めていこう、自国のためのみならず、他国のためにも頑張ろうという意味に使われました。また日本のアジア侵略を正当化するためにもつかわれました。今ではタブーの一つとなってしまっています。

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大東亜共栄圏の目的と理念

日本側の思惑

日本としては資源確保、日本を中心としたブロック経済を行うこと、アジアの権威を上げることまたソ連防衛のためでした。

アジア諸国の思惑

 欧米植民地から独立し、アジアのためのアジアをつくること

 これらの思惑が重なりいくつかのアジア諸国も賛同し始めます。そして戦争に突入し、実際に多くのアジア諸国が欧米からの独立を果たし始めました。ただこれらは完全に独立した国家とは言えず、日本の傀儡国家のようなものでした。そんな時行われたのが世界で初めて有色人種のみで行われた国際会議、大東亜会議でした。

大東亜会議と大東亜共同宣言

大東亜会議は東京で行われました。会議には多くの首脳陣が参加しました。

この会議で採択されたのが大東亜共同宣言です。その内容は以下です。

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ (国々が助け合ってともに発展することは世界平和を確立するうえで根本となるものです)

然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞シウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因ココニ存ス (にもかかわらずアメリカ、イギリスは自国の発展のために侵略搾取を続け、大東亜の国々を隷属化している。今回の戦争の原因はここにあるのです)

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス(大東亜諸国はこの戦争に勝利し、米英を追い出し大東亜共栄圏を確立し世界の平和確立に寄与することを期待する)

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス(ともに共栄圏を設立する)

一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス(互いの独立を尊重し、仲良くしていきます。)

一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス(相互に伝統を尊重し、民族の創造性を伸ばし、各文化を高めていきます。)

一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス(ともに連携して、経済圏を作り繁栄を目指します)

一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス (人種差別を撤廃し、広く文化交流し、資源を開放し世界平和に寄与します。)

Wiki source より
大東亜共同宣言 - Wikisource
大東亜会議 - Wikipedia
大東亜会議の記念写真 wikipedia より

このように内容は大変すばらしいものですが、この大東亜宣言は日本が作り、半強制的にアジア全体の宣言かのようにしたもので、実際すべてのアジア諸国の首脳陣の承認も得ていません。

大東亜共栄圏の問題点

 日本が勢力圏を拡大していく中で、欧米諸国が去っていきましたが、欧米諸国ほどの経験と力、財力のない日本は、うまく統治をすることができず、軍票の乱発によるインフレや、現地住民の失業それによる食糧不足などを招き、多くの人々が苦しみ、命を落としました。また対抗勢力に対する虐殺なども起こりました。

 また大東亜共栄圏では独立させることを名目にしていましたが、実際に独立はしておらず、傀儡政権が樹立され日本が実質的なコントロールを持っていました。またマレーシアに関しては北部領土がタイ王国に勝手に割譲されたり、シンガポールやインドネシアの一部は日本の領土さながらになりました。

また皇民化政策の簡易版のようなものがアジア諸国でも行われたということもありました。こういったことから負の歴史として語り継がれる部分も多くあります。

大東亜共栄圏のよかったところ

この大東亜共栄圏に関してよかったところを議論すべきではないと思いますが、ただ、日本が成し遂げた一つとしてこの記事ではお話をしますが、大東亜共栄圏や日本の侵略行為を礼賛するものではないということを示して、いくつかお話します。

日本は統治下で、現地の方々にその国の言語や、文化などを教育し、軍隊を組織したりしました。また政治に現地の人々を雇い、彼らに経験をさせました。これらが、多くのアジア諸国が欧米から独立するための基盤を作ったと言えます。またこれが今現代の秩序を作ったのです。今でも有色人種差別というものは残っていますが、ただ、国際社会で対等に話し合えるこの状況を作り上げたのはほかでもなく、日本なのです。この点は日本人として誇るべき点であると思います。

有名な歴史学者のアーノルドトインビーはこのようなことを言っています。

第2次世界大戦によって、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わざるを得ない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類のめんぜんにおいて、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点である。

アーノルドトインビー

日本は本当に素晴らしいことをしてきたんだと、心から感じます。ただここには負の側面があることも忘れてはなりません。しかし日本はこれで毛大きな影響力を持ち、世界の歴史に一石を投じたのだと、その歴史が大東亜共栄圏、大東亜戦争なのではないでしょうか。

今回は以上です。

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