【朝鮮神話・箕子朝鮮】箕子朝鮮の建国について簡単に解説!殷や周との関係についても

古代朝鮮

この記事では、朝鮮に古代存在した箕子朝鮮という国の建国神話について解説しています。箕子朝鮮の建国者箕子は実は朝鮮人ではなく、中国からやってきた方。箕子は周の初代王に統治を任され朝鮮で建国しました。この記事ではどうして箕子がそれほどまでの地位を持っていたのか、その点を含め解説しているので紀になる方はぜひご一読ください!

前回の記事を読まれていない方は下のリンクからどうぞ!

中国にて

 今から3000年以上前の中国に箕子というとても得の高く、素晴らしいお方がいました。 箕子は中国に昔あった国の殷の王様紂王の師となり、王様のために教育をしていました。

箕子は人としての徳が高いのみならず、学問にも非常に秀でており、あの孔子にまでも賛美されるほどで、殷の国の三仁の一人とまで言われていました。

世間からの崇拝も集めていましたが、当時の王様紂王はあまり良い王様ではなく、人々から信頼されていませんでした。それに対し教育を施しましたが、王様の逆鱗に触れてしまい、囚われの身となってしまいました。

その後、まもなくして、中国の別の国周によって、殷が滅ぼされ紂王も当然殺されました。

周の王 武王

 殷が滅ぼされた後、箕子は周の王である武王に呼ばれ、国を治める術などを尋ねられた後、朝鮮の地を治めることを任されました。

箕子朝鮮の治世

箕子は聡明で、徳の高いお方であったため、大変素晴らしい政治をしたため、国民はたいそう喜んだそうです。平壌を都とし、朝鮮に中国の文化を多くもたらしました。例えば、礼儀に始まり、田畑の耕し方、蚕の飼い方、織物の折り方など伝え、朝鮮の人々に職業をも授けました。

その後に法律を設け、人を殺したら死刑になるや、喧嘩や乱暴をして、人を傷つけたりしたものは穀物を持って謝罪に行くこと、もし盗みを犯したなら、謝罪をしてその家のお手伝いさんになることで罪を償わせることにしました。

すると皆がその法律をしっかりと守って、平和な日々が続いたのです。皆が助け合いながら暮らしていたそうです。

まとめ

前回に続いて今回は箕子朝鮮についてお話をいたしました。次回は高句麗について話をしようと思います。

次回もお楽しみに。

コメント

タイトルとURLをコピーしました