この記事では朝鮮南部に存在した国家連合である、伽倻(任那)の建国神話について解説しています。日本では伽倻のことを任那と呼び、一説ではこの場所に任那日本府というものが存在し、日本が緩やかに統治をしていたということも言われています。そんな日本とも関係の深い任那の建国伝説。ぜひご一読ください。
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朝鮮半島南部で
朝鮮半島の南、洛東江が流れているあたりは、定まった国はなく、ただ9人のリーダーがいて皆が仲良く暮らしていました。9人のリーダーのことを九干といって、それらの家系のうちに7万5000人以上の人が仲良く平和に暮らしていたのです。

そんなとき日常が大きく変わる重大事件が起こってしまったのです。
天から降りてきたのは。。。
これは、中国に昔存在した王朝後漢の世祖光武帝の建武18年のこと、金海の近くにある小山の峰から、だれかの声が聞こえたのです。「誰かいませんかー 誰かいませんかー」と言っていました。何事かと九干達が話に行くと、「私は天の命を持って、この地に降りたものである。皆さんはこの峯を切り開いて、土を撮んで蹈舞するとよい」といって声は消えてしまいました。
九干たちは相談して、お供えをしたり、神様を祀ってお祭りをすることにしました。住民はその峯に集まって、歌を歌ったり、舞をまったり、ダンスをしたりしました。すると、天から何かが垂れ下がってきたのです。その予想外の出来事に、皆は呆気にとられてしまいました。それを皆でじっくり見ていると、紫の綱でした。まもなく天から地面まで届き、皆が集まってみてみると、赤い風呂敷に包まれた何かが結びつけてあったのです。

その包を解いて見ると、中から立派な蓋付きの箱が出てきました。そして九干達はその箱も開けてみました。するとその中から卵が現れたのです。その卵からは光が溢れ、まるでお日様のように黄金に輝いていました。しかも卵は一つではなく、六個も入っていたのです。
6つの卵たち
住民は皆畏み、跪いて礼拝しないものはありませんでした。そこで九干の一人である我刀干が持ち帰り、大切においておきました。次の日のまだ夜が明けぬころに、九干飲み名を集めその箱を開けてみると、6つの卵は孵化して、6人の赤ちゃんが生まれていました。九干達はその後数年で見上げるほどに成長した6人を王とし、国名を大駕洛または伽耶国として、国を始めることにしました。6人の王が皆別れてそれぞれの地域を治めたので、六伽耶とも呼ばれます。

その後、6つある中の中心として金官伽耶、現在の金海のあたりに定められ、その次は、阿羅伽耶、現在の咸安に移り、その次は、大伽耶は現在の高霊に、星山伽耶は星州、小伽耶は固城にそれぞれ都を置き、治めました。


日本では古くから伽耶のことを任那の国とも呼んでいます。
任那日本府
3世紀から6世紀にかけて朝鮮南部に日本の緩やかな統治下にあった場所があったとされています。その場所が任那日本府であったとされています。実際韓国南部では前方後円墳が発掘されたり、日本でしか製造されない翡翠の勾玉が出土したりなど大和朝廷との関係を匂わせるものが多く出土していますが、現状の国際関係の中でなかなか調査が進まないことが大きな悩みのタネになっています。
ただ高句麗の広開土王の碑文にも同様の内容が書かれており、信憑性のある話ではないかという議論も多くあるのが事実です。日韓関係が改善し日韓共同で考古学調査ができるひが来るのを心待ちにしたいと思います。
スポット
亀旨峰(韓国)
この場所は、神話の伝説で天から卵が降りてきたその場所とされています。
首露王陵
金海の初代王と言われる主露王の古墳です。
国立金海博物館
伽倻連合王国の一刻である金海の歴史等を伝える博物館です。
池山洞古墳群
こちらも歴代おうの古墳とされる場所です。
まとめ
今回は伽耶についてまとめました。またもや卵。卵から生まれることが朝鮮神話の特徴なのですね。日本の神話には卵は出てきませんね。これからも勉強を重ねて、この謎を解き明かしたいと思います。
今回もありがとうございました。 それでは。
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