【朝鮮神話・高麗】高麗の建国神話について簡単に解説!中国唐と初代王の関係に迫ります!

朝鮮

この記事ではかつて朝鮮半島で栄えた王国高麗の建国の歴史についてお話します。高麗は新羅に続き朝鮮半島全土を治めました。この国の始まりを中国唐の工程との関係を紐解きながらお話を進めていきます。KOREAの元になったともされるこの高麗国その始まりの物語をぜひご一読ください。

その前に、前回の記事をお読みになっていない方はぜひご一読を!

新羅国が滅びた頃

 昔、朝鮮の白頭山に虎景こけいという偉い人が住んでいました。そのあたりに住んでいた人々は聖骨将軍せいこつしょうぐんと言って、みなが恐れていました。

その頃は新羅国が滅び、誰が天下を取るかと、皆がソワソワしていた時期でもありました。そしてこの虎景は朝鮮半島を統一しようと思い立った一人でした。

かれはその志を達成するために、修行の旅に出ました。そして旅をしていると、開城の扶蘇山ふそざんというところにたどり着き、そこでしばらく休息を取ることにしたのです。ある日その近くにある村の人々と、狩りに行くと日が暮れてしまい村に帰れなくなり、近くの岩穴で一夜を明かすことにしました。

すると、穴の入り口からトラが入ってきたのです。皆何をすることもできずにいましたが、虎景が皆の身代わりになろうと、外に出ると先程までいたトラの姿はなく、今までいた岩穴は崩れて、9人の村の仲間たちはそれに巻き込まれ死んでしまいました。虎景は何をすることもできずに、ただ9人の霊と、山の神様を祀って、山の名前を九龍山きゅうりゅうざんとしました。

そこに山の神様が現れました。そしてこの山を治めてくださいと、頼まれ神と契約を結び、山を治める見返りに山上から男の子を授かりました。その男の子を康忠こうちゅうと名付け、大切に育て、大きくなりました。

康忠の時代

康忠こうちゅうは父である虎景こけいの意志を受け継ぎ、国を統一することを目指しました。どのようにしようかと、あけてもくれても考えていましたが、ついに占い師のところに行って相談しに行きました。すると占い師は、開城に松の木をたくさん植えなさいと助言したそうです。その助言に従って開城にたくさんの松を植えました。

その後、康忠にも二人の子供が生まれました。長男が伊帝建いていけん、次男が寶育ほういくと言いました。どちらもとても素晴らしく育ちましたが、特に次男の寶育は優しい性格で、出家して智異山に入って修行をしていました。その後摩河岬まかみさきに住みました。

粛宗

唐に粛宗しゅくそうという人がいました。

まだ皇帝になっていないときでしたが、旅行で朝鮮を訪れていました。その時たまたま寶育の家に一ヶ月も止まることになったのです。そして寶育には二人の娘がいましたが、そのうちの次女辰義のことを粛宗が気に入り、辰義は粛宗との子供を身ごもりました。

粛宗は別れの際、もし男の子が生まれたら、これを与えよと、立派な弓矢を辰宗に授けました。やがて、元気な男の子が生まれました。この男の子は作帝建さくていけんと名付けられ、成長すると、何でもできる素晴らしいお方となりました。

作帝建が16歳になった年の春、辰義しんぎは粛宗から授かった弓と矢を彼に渡し、それをとても喜んで一心不乱に練習し誰も及ぶものがないほど腕を上げ、神弓というあだ名まであったそうです。

作帝建の旅

やがて何年かすぎると、作帝建は父にあってみたいと思いたち、唐に渡ることにしました。その航海の途中で黒雲に出会い、船が進まなくなってしまいました。どうしようかと思っていたとき一人の翁が現れ、「私の宿敵をどうか倒してくださいと」頼まれましたそうこうしているうちに空はどんどん騒がしくなり、空から恐ろしいものが降ってきているのが見えます。それに向かって作帝建は矢を放ち翁の宿敵であった狐を倒しました。

 すると翁は作帝建を竜宮に迎え入れて、パーティを開きました。その最中翁は「これから唐に又向かいますか?それとも私の宝物を持って朝鮮に帰り、親孝行するか、決心の程によっては宝物を授けます」と言いました。すると、作帝建は「私の願いは唯一つ、朝鮮の王になることです」と言いました。

 そこで翁(竜王)の奥さんは「もしもあなたが、私達の娘である翥旻義しょびんぎを嫁にして、朝鮮にお帰りになりませんか。そして親孝行をすればあなたの望む王位はあなたの子孫が成し遂げることになるでしょう。」と言い、その言葉に励まされ、作帝建は朝鮮に引き返すことを決意しました。

帰国

 朝鮮に帰ってくると、竜神の娘を娶ったと聞いて、皆が尊敬し協力して住居を作り上げました。それが永安城といいます。しかし竜女は普通の家では落ち着かず、開州の開城里に池を掘り底に住んでいたそうです。今の大井がそこに当たります。その後かつての康忠の家に引っ越し、そこにも竜女のために大きな井戸を掘りました。

 ある日のことです。作帝建は好奇心に負けて、決して見てはならないと言われたにも関わらず影から竜女のことを覗いてしまいました。それを見ていると、とても美しい竜女が池に入る瞬間恐ろしい黄龍の姿に変わり、池に沈んでいきました。その光景が忘れられずしばらくその場で黙っていると、竜女が昇ってきて、起こった顔をして、「醜い姿を見せてしまったので、恥ずかしくてここにはいられません。さようなら」と言って、龍になって池に消えてしまいました。その後この龍女は一度も姿を見せなかったといいます。

作帝建は、その後俗離山長岬寺ぞくりさんちょうこうじに寂しく住み生涯を終えました。その後近隣住民が尊崇して、彼を景康けいこう大王と呼び、龍女を元昌げんしょう王后とよびました。

高麗の建国

作帝建には4人の子供がいました。長男が龍建りゅうけん世祖)、後に王隆おうりょうという名前で、朝鮮で大きな力を持ちました。

ある日お嫁さんがほしいと、街を歩いていたときに見つけた女性を威粛いしゅく王后として迎え、延慶宮奉元殿えんけいぐうほうけんでんに都の基礎を作りました。やがて、二人に子供が生まれ、その子供は「王建」と名付けられました。

その王建が高麗の太祖として仰がれるようになるのです。

ゆかりのスポット

昔高麗の都があった開京(現在の開城)は街全体が開城の歴史的建造物群と遺跡群として世界遺産に登録されています。

世界遺産・開城歴史遺跡(北朝鮮・開城特別市)

古都の歴史を学べる史跡です。北朝鮮にありますので、容易に旅することはできません。

世界遺産・高麗博物館(北朝鮮・開城特別市)

高麗の歴史に関する資料を展示していると思われる博物館。いかんせん情報がありませんが北朝鮮なので、訪れるのはほぼ不可能です。南北統一するか、国交取り戻すまで待ちましょう。

王建陵(北朝鮮・開城)

高麗建国者である王建のお墓です。こちらも北朝鮮にございます。

まとめ

 今回は高麗の建国神話をまとめました。

だいぶ複雑な話でしたが、所々に日本の神話と似ている点が見られたと思います。特に龍女の部分は、日向神話の豊玉姫に酷似しています。もしかしたら互いに影響しあっているかもしれませんね。

今回はここまで。 それでは。

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